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ペトロカスイ岐部の軌跡 | マカオ

マカオ

1614年、キリシタン追放令によってマカオへ追放された岐部は司祭になるべく同地のコレジオ((ポルトガル語:collegio、学林)は、聖職者育成及び一般教養のための高等教育機関(大神学校)です。コレジヨともいいます。イエズス会によって1581年(天正9年)に豊後国府内(現大分県大分市)に設置されたものを指す場合が多いですが、今回は学校全般をさす広義のコレジオです)でラテン語と神学を学びました。

が、マカオの長上の日本人への偏見から司祭叙階がかなわないことを知った岐部ら数人の日本人神学生たちは、神と同胞に尽くしたいとの耐え難い望みに駆られ独力でローマのイエズス会本部を目指すことを決意し、マカオを出たのです。

遠藤周作の「銃と十字架」には同胞を見捨てていくペトロカスイ岐部の葛藤が描かれていますが、それはあくまでも迫害下の切支丹たちの指導者になるため神父になる道を探し求めていたからだといいます。